僕をAndroidからiPhoneに連れ戻したアプリ10選

一時はiphone4の動作の重さにウンザリしてAndroidに浮気気味でしたが、5に乗り換えてからまたIOSがメインになってます。
いろんなメーカーが出してるAndroidと比べ(とっかえひっかえするのも面白いんですが)、アップル一社がハードを出してるiphoneはUIが最適化されてて使いやすい!ガンガン衝動買いしては消していく中で、ホーム画面にたくましく生き残ってきたアプリを紹介です。

とにかく多機能、高機能。リプライの元発言を見て会話を確認したり、相手のプロフもフリック一発で表示できる操作性がいい。何人もの相手に返事もカンタンで、家に帰るまでリプライお預けというのがなくなりましたね。

Yutaka Yagiura
ジャンル:仕事効率化
価格:350円
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出先でモノを書くのに書かせないのがコレ。DROPBOXからテキスト引っ張ってきてすぐに読み書きできます。Atokとも連携できるので、日本語変換も問題なし。

Fenrir Inc.
ジャンル:ユーティリティ
無料
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SafariChromeと乗り換えて最近のお気に入りブラウザ。タブをいっぱい開いて、指でぴんと弾けば次々とページを切り替えられるのがいい! CROWSnestやニュースを集めるキュレーション系サービスとの組み合わせでは最強です。くるっと指で円を描いて画面更新とか、ジェスチャも快適ですね。

Atech inc.
ジャンル:ビジネス
価格:600円
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いつでもメモを取りたい人は絶対にマスト。一日に書いたメモをEvernoteのノート一枚にまとめてくれます。たとえば「仕事」「プライベート」など履歴からタイトルを選べるので、ノートの使い分けもラクラク
6 Wunderkinder
ジャンル:仕事効率化
無料
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スケジュール管理アプリ。単品ではそう飛び抜けた機能はないんですが、たくさん機器を持ってる人にはオトク。Windows用もMaciPhone用もAndroid向けもオール無料でして、同期もなかなかの速さ。PCに予定を放り込んでiPhoneで見るのに重宝してます。

Jamawkinaw Enterprises
ジャンル:ニュース
価格:170円
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ポッドキャストを聞くのがメチャ楽しくなる神アプリ。iTunesポッドキャストを登録するのは面倒で遠ざかってましたが、これは「business」や「Games&Hobbies」などジャンルごとの番組リストから選んでワンタッチ登録。メニューが英語なので海外だけ?と思ったら、バッチリ日本向けでした。
Kyosuke Takayama
ジャンル:仕事効率化
無料
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月表示に特化したカレンダー。上下にスクロールして、先月や来月の予定が見られる見通しの良さがうれしい。面白いのがフェイスブックとの連携で、この人とこの人は誕生日が同じだったのか!みたいなサプライズもありました。
Hulu, LLC
ジャンル:エンターテインメント
無料
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ビデオストリーミングサービスのHuluの契約が前提ですが、ストリーミングとの付き合い方が完全に変わるといっていいアプリ。家のPCなりアップルTVで見た映画の続きがiPhoneですぐ見られるんですよ! 逆も可能で、機器を乗り換えて一本の映像を追っていく体験は一度してみるべき。「プリズンブレイク」など海外連続ドラマや東映特撮、「イナズマイレブン」はじめアニメの品ぞろえも下手なレンタルビデオ店を凌駕します。
Flipboard Inc.
ジャンル:ニュース
無料
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自分専用のソーシャルマガジンが楽しめるアプリ。TwitterFacebookTumblrGoogle+などSNSを登録しておくと(GoogleReaderRSSもオッケー)セクションごとにページをめくる感覚でパラバラ読めます。特に流しっぱなしの「フロー」なTwitterを、一記事ごとの「ストック」として読める感覚は新鮮ですよ。

Idea Shower
ジャンル:ニュース
無料
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いわゆる「あとで読む」アプリ。PCで見ている記事をクラウド保存してあとまとめて閲覧できるサービスですが、iPhoneアプリでも連携してるものが多くて「とりあえずクリップしとけ」感覚が楽チンで手放せません。

今回はマニアックなアプリは外したつもりですが、ポメラと連携するPomeraQRや、ナスネをリモート予約できるs-entranceも自分の使い方にハマればメッチャ便利ですよ!

『ラノベの教科書』読んだ

ラノベの新人賞は下読みで90〜95%がふるい落とされてるという。この本は、残りの5〜10%に踏みとどまるためのガイドブックだ。

ラノベの教科書 (三才ムック VOL. 574)

ラノベの教科書 (三才ムック VOL. 574)

 語り口は会話式でとてもライト。でも、著者や講師が現役のラノベ関係者だけに、身もフタもないほど実践的。サンプルの企画書やプロットまで載せていて、「ラノベというものは全て美少女ものである」と断言する割り切りようだ。
 ラノベ作家になんとなく憧れてる人がつまづく「何を書けばいいか」もばっちりケア。「どのような」×「どこで」×「何をする」とかけ合わせればジャンルが決められるテンプレまで用意している。ファンタジー×部活もの×不条理ギャグ、おお一本できる!
 この本の目玉は「フラグシップヒロイン」という概念。メインヒロインは、作品の象徴的存在(フラグシップ)でなくちゃいけませんという考えは、今の売れ線ラノベにほぼあてはまる。例えば「俺妹」は隠れオタクの妹が兄貴を引っ張り回す話だし、全ての物語や事件の発端がメインヒロインを巡るもの。「メインヒロインが好きになれば、作品そのものも好きになる」とは限らないが(ハルヒ人気<長門だし)、スッキリ分かりやすくなるには違いない。
 フラグシップヒロインが決まれば、平凡な主人公の日常も変わるし、ボーイ・ミーツ・ガールやバトルやクライマックスも立ち上げられる。この考えは「エンタメはキャラが命」の原則にもぴったり来るし、何より最も重要なステップ=執筆への背中を押すものだ。
 作家志望の人の多くは「設定に縛られる」ことで執筆をあきらめる。キャラを作り、設定に凝りまくるのは楽しい。けど、ゴチャゴチャし過ぎると考えがまとまらなくなり、筆が止まる。でもフラグシップヒロインがいれば、とにかくドラマや事件のネタ出しができるし、あらすじも考えられる。
 だから、さっさとストーリー(あらすじと本文)書け!というのがこの本のキモ。文章作法も「同じ語尾を使わない」「台詞以外で“である” “なのだ”という語尾は使わない」や視点をブレさせないとか必要最小限で、口うるさいお説教はナシ。それは甘やかしとは正反対の、ラノベ書きを徹底的に「プロフェッショナルの仕事」と扱うスタンスから来てる。
 設定を作り込んだり文体に凝ったりしてるうちに時間は過ぎて、どんどんお金もなくなっていく。ここで目指しているのはあくまでも「筆一本で食べていけるラノベ作家」ということ。ラノベ一冊あたりの儲けは平均して75万円、年3冊書いて税金10%引いて…と並べてる数字の生々さといったら。
 この本に関わった人たちは、本気で商売のライバルを育てようとしている。本が売れれば売れるほど稼ぎが減る覚悟に応えてあげるためにも、みんなガンガン買ってあげるといいよ!

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のファーストインプレッション

エヴァQ』には封切り早々に行ってレビューもすぐに書いたんですが、諸事情により原稿がボツに…。死蔵しとくのももったいないし、賞味期限もあるものなので(出遅れちゃった感アリアリですが)こちらで公開しておきます。今月の11日に出演するオタ大マンスリーの「ヱヴァQ」大放言祭もよろしくお願いします!

●ピアノの謎から「Q」が確定する日
 2012年7月、テレビでピアノの音が流れた。おそらく日本で最も多くの人々が耳を澄ませた音色は、『エヴァンゲリオン新劇場版:Q』のテレビ特報だ。淡々と曲が弾かれるCGの鍵盤を食い入るように見るほどに、僕らは「Q」の情報に飢え切っていた。
 『エヴァンゲリオン新劇場版』4部作の第三作であり、前作『破』から3年。その間に与えられた「Q」のヒントは、わずかに2回。『破』の劇場版での予告編と、2011年夏にテレビ放映された次回予告だけだ。ロンギヌスの槍に貫かれた初号機、エヴァに取り込まれたシンジと綾波、凍結されるNERV本部。まるっきりテレビ版の終盤をなぞるようだが、次は序破急のうち“急”にあたる話。何より、タイトルの“急”が“Q”に差し替えられて、ただならぬ予感……こんな思わせぶりから1年ぶりの「ピアノ」だったのだ。
 その宙ぶらりんにピリオドが打たれたのが、2012年11月17日のこと。世界最速で公開された新宿バルト9は、深夜零時に隣のビルまで行列が続く凄まじい熱気に包まれた。とらえどころがなく不確定な存在だった「Q」が、日本全国ありとあらゆる観測者によって確定する日がやってきた!

●地獄絵図だってエンターテイメントだ!
シンジが目覚めると、そこは前作『破』から14年後の世界。あれ、リツコさん髪切った? 青葉くんはヒゲ生やしてエラソーだし、ミサトさんは変な帽子をかぶってるし……「碇シンジ、何もしないで」。シンジがヒーローらしく戦った「破」のラストから、とんでもなく落差の大きい「Q」の物語の始まりだ。
 開幕のスペクタクルは、国産アニメの新記録を塗り替える勢いの豪華絢爛さだ。宇宙空間におぼろげに浮かぶ巨大なブースターらしき機影が2号機(「破」で大破して改修された“改”)としだいに分かり、スケール感と空間感覚さえつかめずスゴさだけが伝わる映像。マリの8号機と共同で何やら回収してるみたいだが、猛烈なスピード感とめくるめく動きに振り回される快楽に酔いしれるしかない。
 が、それさえも前フリ。ミサト達が乗っているのは巨大な空中戦艦と明かされる驚き! 予想してなかったというより「やっぱり」というショックだ。NERVの発令所も艦橋の形をしていたし、『宇宙戦艦ヤマト』大好きな庵野監督のシュミ丸出しだな〜と眺めていると、大活躍するときのBGMが『不思議の海のナディア』のネオノーチラス号と同じじゃん! そんなコアなネタを劇場でやっちゃうんだ……。
 映像体験はハイになるアッパー、ドラマはどんよりするダウナー。シンジの主観では『破』の事件はついさっきのことで、ミサトさん綾波を助けるための男の戦いを応援してくれたはず。なのに、なぜエヴァに乗せてもらえないか説明もなく、アスカはガラスにヒビが入るパンチで怒り全開で、NERVは敵だとか意味不明だし、エヴァに乗ったら死ぬ首輪まで付けられてしまう。ぼくが、何したっていうんだ!?
 ええ、しでかしたんです。「僕がどうなったっていい。世界がどうなったっていい。だけど綾波は、せめて綾波だけは絶対助ける!」そう前作のクライマックスで言い切ったのは他でもないシンジだ。世界より綾波を選んだことを、心のどこかで分かっている。けど、分かりたくないのだ。
 「Q」のシンジは、以前のシンジと変わっていない。かたくななミサト達に愛想を尽かし、アヤナミ(あえてカタカナで書きます)と一緒にNERVに行くのも、本人が決めたこと。他人の顔色をうかがったり言いなりにもならず、自分の頭で考え、他人と積極的に関わっていこうとする前向きな人格は「破」のまんまだ。
 みんなのために弁当まで作る、気遣いのできる健全な14歳。でも、まだ14歳だ。「破」での暴走がもたらした結果が、NERVに戻ったシンジにみじんの容赦もなく突きつけられる。使徒を吸収した初号機がサードインパクトを起こし、第三新東京市やそこに住む人々も…。正義感と視野の狭い愛情に駆られた青臭い行動の代償が、人類ほぼ滅亡。他のアニメなら大目に見られるものをきっちりツケを払わされる、それがエヴァだ。
 シンジは過ちを認めようとしない。前向きに頑張れば道は開けるとまだ思っている。だから、行動に「逃げる」。テレビや旧劇場版のシンジは何もしたいことに「逃げ」ていた。新劇場版のシンジは無為に耐えられない。でも、サードインパクトの引き金を引いたことを受け入れたくないから、何かをすることに「逃げる」のだ。
 そんなシンジの世話を焼くのが渚カヲル。怪しさは相変わらずだが、ピアノを連弾して心のケアをしたり、空白の14年を説明してくれる。が、今回はカヲルさえ予想外のイレギュラーだらけだ。あの握りつぶされる瞬間でも悟り切ってた彼が狼狽えるのだから、「Q」はどれだけ斜め上なんだろう。
それでも、シンジは希望を捨てようとしない。やり直しできると信じてエヴァに乗り、カヲルが止めるのを振り切って決断する。「破」で最高にヒロイックでかっこいい戦いをしたシンジのまま、最低に浅はかな「バカシンジ」に成り果てたのだ。
 劇場を出てきたお客はどうしたらいいのヨと困り顔と、ガッツポーズの2パターン。たぶん前者は新劇場版が初エヴァだった人らで、後者はテレビ版のリアルタイム世代(筆者を含む)。ろくに説明もしない大人の都合に振り回される可哀想なシンジくん、俺達のエヴァが帰ってきた!というわけだ。
 とはいえ、テレビ版と「Q」のシンジは、絶望に沈んでる結果は同じようで、そこまでの道のりは大違い。前は何もせず、この世界ではやる気がありすぎた。別にテレビ世代の大勝利でもないし、初エヴァ派の負けでもない。「序」や「破 」で持ち上げておいてドーンと落とすのもエンターテイメントの一種だ。これほど全編あますところなく地獄絵図のアニメなんて、世界中どこを見渡してもありませんよ?
 まぁ「破」の後に流れた予告編と「Q」本編がまるで違ってたあたり、シンジもろともお客を絶望のどん底に落とそうとする茶目っ気が透けて見えますよね。庵野監督の底意地悪さ(褒め言葉)が枯れてなくて安心ですが、シンジ株は落ちるところまで落ちたのだから、完結編での爆上げを期待して待ちますよ!

モバイル原稿の書き方(そのいち)

なんでもかんでも一つの機器で間に合わせようとする人がいます。電車の中でノートPCを片手で支えて指一本でタイプしたり、iPhoneBluetoothでキーボードをつないで狭い画面で長文を書こうとしたり。
 でも、それは無理がある。ケータイは歩いているとき、iPadとかタブレットは座ってWEBやデータをゆっくり見たいとき、ノートPCは喫茶店とか場所の取れる場所で開くもの。いくつかのデバイスを持ち歩いて、その場に応じていちばん使いやすいものを取り出すのが、結局のところは効率がいいんです。
 去年リメイクされた『電人ザボーガー』でも、ザボーガーはバイクに変形して走ったり、頭から小さなヘリを飛ばして空から偵察したり、両足や背中からラジコンを飛ばして潜入捜査させたりしてます。いくつものガジェットを、TPOに合わせて使い分けるザボーガーは元祖モバイラーだ!

 そんなわけで(対象となるのは“もの書き”の人に限られちゃいますが)外でテキストや原稿を書きたい人にはコレ!という三点セットとキラーアプリは次の通り。

1.iPhone
ケータイサイズで対応アプリの豊富さでいえば、やっぱりAndroidiPhoneにはかなわない。いろんな状況や様々な機器とのリンクを想定したアプリがずらりとそろってます。

主なアプリ:

Dropboxに仕事用のファイルを置いてる人は、いの一番にコレ。さっきまでPCでカリカリ書いていた原稿が、すぐにiPhoneで編集できる喜び! いや仕事が出先まで付いてくるのはどうよとも思いますが、〆切まで時間がないときは「どこでもオフィス」になるので重宝してます。

Textforceの弱点を補うアプリ。あちらが苦手なページレイアウトやら縦書きやら、原稿の体裁を整える便利な機能があります。Textforceともども、メモ帳+漢字変換アプリの「ATOK PAD」と連携できたりもします……が、PC版ATOKよりも変換がおばかな感じがしてお勧めできないかも。

2.Androidタブレット
7インチ〜10インチのサイズになると、Apple製品とAndroidとの「テキスト書きに役立つ」度はガラリと逆転。iPad(2)はフリック入力がなく、フルキーボードでぽちぽちと入力する以外の選択肢はナシ。Google日本語入力ATOKなど、いろんな日本語入力方法に替えられるAndroidの圧勝でしょう。

主なアプリ:

Androidの“共有”機能のおかげで、Dropbox上のファイルをどのアプリで開くか選ぶことができていい感じです。とはいえ、たまーに変更が元のファイルに反映されてない気が……。

100万字までのファイルに対応(モバイルでそんなに書けねーよ!)、文字コードの自動判別や、保存するコードの種類を指定できたりと至れり尽くせり。つまりMacintoshだろうがWindowsだろうが、文字化けの心配がないってことです。アップデートもこまめで、最強のAndroidテキストエディタの一つでしょう。

日本語入力アプリのツートップとして、どちらでもお好きな方で。Googleの方は無料、ATOKは安心のブランドということで。MacWindowsでもATOKを使っているなら、10台まで月額300円で使えてアップデートも出来る「ATOK Passport」を選んだほうがよいかも。

3.ポメラ
ネットにも繋がらずWebも見られない、潔いほどに「原稿しか書けない」テキストマシンのポメラ。バリエーションはあれこれありますが、やはり最上位機種のDM100一択でしょう。前の機種と違って折りたたみできなくなりましたが、キーボードの安定性と打ちやすさは、ノートPCにも遜色なくてピカイチ。長年の実績ある日本語入力システム・ATOKを搭載していて、変換にいらつくこともありません。

キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック

キングジム デジタルメモ ポメラ DM100 ブラック

主な特徴:

  • ATOKのPC辞書取込

いつも愛用している辞書がモバイルで持ち歩ける! 僕にとってのキラー機能でしたが、辞書を育てすぎてサイズがデカいと、単語の取りこぼしも多少あります。

USBでつなぐと、SDカードやUSBメモリと同じ感覚でファイルにアクセスできます。Bluetooth経由もできるものの、いったんダウンロードしてから……ってことで少し微妙かも。

  • 国語/英和/和英辞典が付いてくる

それぞれ明鏡国語辞典MX、ジーニアス英和辞典MX、ジーニアス和英辞典MXがワンタッチで呼び出せます。ネットでよそ見しなくていいですね!

今回はここまで。次回は、各デバイスの組み合わせについて説明します。

すぎやまこういちとドラクエの旅路

すぎやまこういち先生の80歳を祝う某誌に掲載予定だった原稿が、雑誌の方向性がコラム中心→インタビュー中心に変わったために宙に浮いてしまいました……。で、先方の了解も得られましたので、ここに公開しておきます。くわしい人やマニアにはぬるいかもしれませんが、元もと予備知識のないオッサンも読む一般誌向けの原稿ということで、そこは大目に見てもらえればと。あとナンバリングも文字化けを手作業で直してるんで、間違いがあってもカンベンな!

●すぎやまサウンドは現代のクラシック
ドラゴンクエスト』(以下ドラクエ)シリーズを彩るすぎやまこういち氏の楽曲、それは現代のクラシックだ。国民的RPGとともにあり、様々なジャンルを遍歴してきた大人から、初めて「音楽」なるものに向きあう子供まで、年齢性別を問わず聴かれるメロディは、嗜好の細分化が激しい現代ではまれな存在と言っていい。
のみならず、ドラクエの楽曲は“時を超えた”という意味でもクラシックである。長きにわたる旅路、敵モンスターとの激しい戦闘、レベルアップのうれしさや仲間が全滅した哀しさ。常に冒険する人々を励ましてきたBGMは、魔王を倒すまでの数十時間の道のりを終えた後も、人々を勇気づけてきたのだ。
 もはや「すぎやまこういち氏といえばドラクエ」を疑う人はいない。しかし、初代ドラクエ当時、両者の巡り合わせは驚き以外の何ものでもなかった。すでに歌謡曲の大御所であり50歳を過ぎていたすぎやま氏と、まだ知る人ぞ知るの域を出ていないマイナーなジャンルだったRPGとは、いかにも不釣合な印象を与えた。
 とはいえ、氏の歩んだ道のりをたどれば、ドラクエとの出会いや、我々がすぎやま=ドラクエサウンドに魅了されるのはとても自然な成り行きと思えてくる。すぎやま氏とドラクエとがいかに引かれ合ったか、なぜ「すぎやまマジック」は人の心をつかんで放さないのか。その秘密を、歌謡曲ゲーム音楽の垣根を超えた巨匠のルーツにさかのぼって見ていくことにしよう。

●新天地に挑む冒険精神
すぎやま氏が生まれたのは、1931年(昭和6年)のこと。音楽との初めての出会いは、祖母カツさんが毎晩のように歌っていた賛美歌だった。父はマンドリン、母はギターで合奏していたというから、音楽好きの家系なのである。
音に囲まれて育ったすぎやま少年は、小学校へ進むと玩具の卓上ピアノで遊び、学芸会ではハーモニカ合奏の指揮をしていたという。作曲に興味を持ち始めた中学時代は、レコードが擦り切れるほどクラシック音楽を聞いた時期でもある。父親が物々交換で手に入れた(戦後の物資不足の中である)ベートーベンの交響曲などのSPレコードは、作曲家としてのバックボーンも作り上げたのだ。
成蹊学園での高校生活もオーケストラ部などの音楽活動に明け暮れたすぎやま氏は、当然のように音楽家になろうとした。が、試験には必ずピアノがあるために、楽器のできない(高校の文化祭のためにベースは練習していたが)すぎやま氏は断念。実直な官僚だった父の意志をついで東大理科二類に進学し、いったんは音楽から遠ざかった。
しかし大学卒業後は、仕事をしながら音楽の勉強ができるからと文化放送に入社。報道部から芸能部に転属された後、開局1年前のフジテレビへと移籍する。自らテーマ音楽も作曲した『ザ・ヒットパレード』や『おとなの漫画』といった伝説の番組を手がける、敏腕ディレクターの誕生である。
かたや人気番組を切り盛りし、CMソングの作曲活動も活発となったすぎやま氏。やがてフジテレビを独立し、ザ・タイガース(すぎやま氏が名付け親である)に提供した曲が次々とヒットを飛ばすに連れて、作曲活動一本に絞る決意を固めるにいたった。
若い女性たちを熱狂させたグループサウンズの代表的な楽曲の数々、人気番組からテレビCMまで全国区のメジャー感。しかし、すぎやま氏の基礎はあくまで「クラシック」にあった。そもそも文化放送に入社できたのも、氏が高校三年の時に書いたバレエの曲が、当時の音楽部長だった人物の目に止まったのがきっかけだったのだ。
ザ・タイガースの曲も「僕のマリー」は第一楽章、「シーサイド・バウンド」は第二楽章……と次々と出るシングルを並べると、一つの組曲になるようにしようと思ったという。ここにはすでに「複数の曲を組み合わせることで、一つの世界観を作る」ゲームミュージックに向き合う姿勢がうかがえる。
 また、すぎやま氏が入社した当時のテレビ局は、よく言っても可能性は未知数。しかも開局の1年前とあれば、海のものとも山のものともつかなかった。「テレビにこそ音楽番組の未来はある」と信じ、自ら志願した(フジテレビに出資した文化放送は、社内で転属したい人を募った)すぎやま氏のパイオニア精神は、ゲームという新天地でも発揮されることになる。

ドラクエの序曲は「5分+54年」の成果
70年代初めにフォークソングのブームが過ぎ去ったあと、それを支えた作曲家たちの多くが歩んだ道は「サウンド勝負」だったという。特定の歌手ユニットに頼らない、自らの音を武器としたアーティストとしての一本立ちだ。まだ高価ながらも、従来の楽器では出せないサウンドを奏でられるシンセサイザーの発達に力を得たのである。
そうした動きに背を向けて、すぎやま氏が目指した新天地はアニメなどの主題歌や劇伴だった。『科学忍者隊ガッチャマン?』や『伝説巨神イデオン』といった作品を盛り上げた音楽は、日常から戦闘まで様々な状況を表現する組曲的であり、多彩な楽器を使うオーケストラ志向ではある。 
そんな80年代半ば、ついにすぎやま氏とゲーム・ミュージックが出会う日がやってきた。きっかけは、一枚のハガキだ。パソコンソフトの『森田将棋』を遊んだすぎやま氏が、販売元のエニックス(現スクウェア・エニックス)にアンケートを送ったのである。それを見かけた千田幸信氏(ドラクエシリーズのプロデューサーで現スクウェア・エニックス取締役)はすぎやま氏に電話でコンタクトを取ったという。ちなみに、氏が最初に手がけたゲーム音楽ドラクエではなく『ウイングマン2−キータクラーの復活』である。
この時代は、どんなゲームでも出せば10万本以上は確実に売れるほどの“ファミコンバブル”に沸き返っており、プロの作曲家に声がかかることも珍しくはなかった。しかし、実際に応じた人物は、すぎやま氏や浅倉大介氏(パソコンソフト『ディーヴァ』シリーズなど)や羽田健太郎氏(ファミコン版『ウィザードリィ』シリーズ)の他はほとんどいない。
ファミコンの音源が使える音色は、基本的に4つのみ。宝箱を開けるなどの効果音に使う一音を除けば、実質3トラックしかない。そんな悪条件を「サウンド勝負」の作曲家たちが避けたなか、バッハを「大先輩」と呼ぶすぎやま氏は3トラックの土俵の上での「メロディ勝負」に挑んだのである。
 すぎやま氏本人は大乗り気でも、初代ドラクエを制作している開発スタッフは戸惑った。開発を担当したチュンソフトは、当時20代前半だったメインプログラマー中村光一氏を筆頭に、若さあふれる現場だった。しかも開発はある程度進んでおり、サウンドプログラマーによる音楽ができていた段階でのこと。いくら有名な作曲家だといっても、ゲームを知らなければ本当にいいゲーム音楽を作れるわけがない−−と若者達が反発したのも無理はない。
しかし、すぎやま氏は「元祖プロ・ゲーマー」を自称する筋金入りのゲーム好きだった。中でも若い頃にハマったというビンゴゲーム(玉を打ってラインを揃えるゲーム)の話題で中村氏達と意気投合し、正式に作曲を依頼することになったのだ。
その際、ゲーム音楽についての考えを聞かれたすぎやま氏は「レコードのヒット曲作りとは全く逆」と答えたという。ヒット曲で大切なのは一度聞いただけで与えられるインパクトだが、数カ月後には飽きられる。ゲーム音楽はその逆で、何回聞いても飽きない「聞きべりのしない」曲でなければならない。すぎやま氏と中村氏は「ゲーム音楽は何十年何百年と人に聞いてもらえるクラシック音楽だ」ということで意見の一致を見たのだという。
もはやドラクエの代名詞といえる「序曲」は、「中世ヨーロッパの冒険物語」というイメージを聞いたすぎやま氏が5分で作ったという。易々と出来たように見えるが、それまでのクラシック体験や歌謡曲、ゲーム愛の詰まった54年分の人生の上にある「5分+54年」だと氏は振り返っている。

●初期三部作でのサウンドの歩み
 ドラクエシリーズは、当初は初代〜?までの3本、いわゆる「ロト三部作」が予定されていたことが知られている。生みの親である堀井雄二氏の構想では、最終的なゴールは「III」のかたち、つまり「戦士」や「魔法使い」といった職業のキャラクターを組み合わせ、自由にパーティ(チーム)を作れることが視野に入っていた。
 しかし、最初から自由度が高すぎては、RPGになじみのない初心者ユーザーは取っ付きにくい。それに戦闘がコマンド(命令)を選んで行う方式で、アクション性のない冒険物語というシステムは、国内ではほぼ前例がなかったのだから。そこで、初代では一人旅→「II」では3人の王子と王女達の冒険→「III」といった具合に、「RPG入門編」の段階が踏まれたのである。
 ロト三部作の楽曲もまた互いの関連が深く、“組曲”的な一体感が高い。それはストーリー上で連続している事情だけでなく、初代から「II」の間隔はわずか8ヶ月、さらに「III」も約1年でリリースされた、気持ちの“途切れなさ”からも来ているのだろう。
 初代ドラクエの楽曲の中で最もスタッフが違和感を覚えたのは、フィールド曲(世界を歩くときのBGM)「広野を行く」だったという。世界の命運を背負った勇壮な戦士とは対極にある、心細さを漂わせた曲に「中世ヨーロッパの冒険物語」の想像を膨らませていた彼らが反対したのは無理もない。
 そこで、とりあえずこの曲をゲームに乗せて、その間にすぎやま氏が新たな曲を考えるという線で作業は進められた。すると、いつの間にか開発現場ではみんなが鼻歌で歌っていたという。たった一人で旅する勇者の孤独と不安、プレイヤーへの「親しみやすさ」を狙った曲は、全てのドラクエの原点であるアレフガルドの地とともに、人々の心に深く刻み込まれたのだ。
 そしてゲーム音楽は、ゲーム体験を深めるためにある−−初代の洞窟のテーマは、そんな基本を静かに確認している。地下1階から2階、2階から3階へと下るにつれて、曲のテンポは遅くなり、音程も低く落とされる。より強力な敵モンスターの待つフロアに踏み込む怖さ、真の敵「りゅうおう」に一歩ずつ近づく高揚感をとらえた“ゲーム的編曲”は、他の劇伴では体験できないものだ。

●苦難の果てに待つ「この道わが旅」の感動
 続く「II」では、一人旅から3人パーティに移行するにともない、フィールド曲もさらに充実した。まず、最初の主人公・ローレシアの王子が旅立つときの「遥かなる旅路」(ふたり旅の時もこのBGM)。そしてムーンブルクの王女サマルトリアの王子が加わり、3人がそろってからの「果てしなき世界」の二部構成だ。
 前者はすぎやま氏が「ロシアの広大な大地を思い浮かべた」というように、ローレシアの王子がたった一人旅立つ心細さ。それと比べて後者はロトの勇者の子孫、三人の仲間が力を合わせる頼もしさが伝わる。こと情感たっぷりな「遥かなる旅路」の人気は高く、わざと一人を戦闘不能にしてまで浸ろうとするプレイヤーがいるほどである。
 クラシック調で統一された「II」の楽曲の中で、復活の呪文(パスワード)を入力する画面のBGMはポップス調で、少し浮いた印象を受ける。この「LOVE SONG探して」と名付けられた曲は牧野アンナという新人歌手を売り出すためのタイアップものだったからだ。しかし、その結果は……。この曲は替え歌にされ、今も千葉ロッテマリーンズの応援歌「俺たちの誇り」として熱唱されている。
 「II」の白眉は、エンディング曲の「この道わが旅」だろう。「すいもんのかぎ」を探すため世界を駆け巡り、練りこみ不足のせいで(開発期間が1年未満である)ロンダルキアの洞窟の意地悪な落とし穴や敵モンスターの凄まじい強さでプレイヤーを戦慄させた「II」は、シリーズ9作の中でも「耐え忍ぶ旅」の想いが強烈だ。
 この古傷を優しく包みこむ曲は、後に歌詞が付けられ、スピンオフ作品であるアニメ『ダイの大冒険』のエンディングにも採用された。「出会いと別れを繰り返しながら」というフレーズを耳にした「II」ユーザーは、今までの苦労が報われた思いがしたことだろう。それは冒険の思い出を通じてゲームの外でも人と人がつながる、ドラクエのもう一つのテーマも象徴している。

●「III」のサウンドはゲームの進化も反映
 最終的な売上が380万本を超え、発売日に数キロにも及ぶ行列がニュースにも報道された『III』は、社会的現象の色合いさえ帯び始めた。ついにはテレビやラジオをも巻き込み、多くの芸能人もドラクエ好きを標榜してやまない一大ムーブメントを巻き起こす。ついにはラジオ番組『鴻上尚史オールナイトニッポン』の企画として、歌詞まで付けられた「III」のエンディングとフィールド曲のCDまで出てしまったほどだ。
 前2作のフィールド曲は「選ばれし者の孤独」をベースにしていたが、、「III」のフィールド曲「冒険の旅」はあくまで勇ましく戦う行進曲である。鴻上氏が草原や荒野をこえ、眠たい目をこすりながらまだ見ぬ街を探す徹夜プレイの日々を熱唱した音盤は、歌唱力以外の何かを伝えてくる。 
 80年代後半のファミコンソフトは、わずかな期間で飛躍的な進歩をとげるドッグイヤーを迎えており、音源のポテンシャルの引き出し方にも目を見張るも。その中でも「III」の楽曲が並ではないのは、「ゲーム内容の進歩」までも反映していることだ。たとえば終盤、世界に散らばる6つのオーブを捧げると復活する神鳥ラーミアのテーマ曲である「おおぞらをとぶ」がそれだ。
 ラーミアは勇者一行を背中に乗せて大空を羽ばたく。その勇姿は船から始まった「乗り物」の進化系であり、諸悪の根源である最強の敵・大魔王ゾーマにいたる最後の飛行という意味も帯びている。単品でも非常に完成度の高い曲だが、ユーザー人気がずば抜けて高いのは、ゲームの進行と一体になった記憶によるのだろう。
 そんな「ゲームミュージック」の一つの頂点に達したのが、大魔王との決戦を鼓舞する「勇者の挑戦」だ。前半は初代の「広野を行く」、後半は「II」の「遥かなる旅路」のアレンジ。これは「III」が前2作の数百年前の世界という衝撃の真実を示すと同時に、この曲が魔王の強大さよりも「強敵に立ち向かう勇者の視点」に立つことを意味している。シリーズ3作の壮大な叙事詩、ゲーマーでもあるすぎやま氏本人の心の高ぶりを込めた構成は、まさに「ドラクエ組曲」なのだ。
●「天空シリーズ」三部作の達した高み
 ロト三部作が完結を迎えた後も、ドラクエ=すぎやまサウンドは「IV」〜「VI」の、いわゆる「天空シリーズ」三部作にさらなる新境地を求める。運命に導かれしもの達が力をあわせる『IV』では、主人公たちが魔王に立ち向かうまでを描いた各章ごとに、専用のフィールド曲が用意されている周到さだ。
 故郷を滅ぼされた勇者が孤独な旅をする「勇者の故郷」の寂しさから、8人が集結したあとの「馬車のテーマ」の安らぎへの編曲がまた格別。踊り子マーニャと占い師ミネアの姉妹を中心とした第四章のみで聞ける戦闘曲「ジプシーダンス」も、この章限定ということもあり中々に熱い。なお、スピンオフ作品の『トルネコの大冒険』シリーズでは、本作の「武器商人トルネコ」のモチーフをアレンジしたものが使われている。
 そして親子三代にわたる壮大なストーリーを描いた「V」の楽曲は、シリーズ屈指のドラマ性という呼び声も高い。人生における究極の選択肢を付きつけられた後に聞く「結婚前夜」、主人公が父パパスの残した手紙を読むときの「哀愁物語」、エンディングを飾る「結婚ワルツ」は劇中での結婚式を祝う曲でもある。かつての小学生プレイヤーが家族を持ってから聞けば、また感動もひとしおではなかろうか。
 そんな前二作の流れを受けて「天空シリーズ」を締めくくる「VI」は、夢と現実二つの世界を股にかける上に、「III」の転職システムも復活したほか、カジノやスライム格闘場といったミニゲームも盛り込まれ、320万本を超える大ヒットを記録した。
 本作はスーパーファミコン用の最後のドラクエであり、すぎやま氏も各メディアで「ドラクエVIは、プロの作品」とコメントしたほどの自信作だ。スーファミの音源に楽曲を落とし込むために、『伝説のオウガバトル』などの作曲を手がけた崎元仁氏らを“サウンドプログラマー”として起用したことが、氏の本気を物語っている。
 一聴しただけでは、非常に地味。しかし数十時間におよぶ冒険の旅の中で、いくつかのテーマが共通していることに気付かされる。曲数が増えれば一曲ごとに印象が薄くなりがちなところを、特定のモチーフを軸にして繰り返すことで、プレイヤーのッ心へのフックを強めているのだ。中でも「悪のモチーフ」と銘打たれたモチーフは、街や洞窟などの曲に巨悪の影をちらつかせ、「善と悪」の構図を浮かび上がらせる。
 その果てにたどり着くボス・ムドーとの戦いで「敢然と立ち向かう」の曲が流れる興奮は鳥肌モノ。しかも、これが最終ボスではない! 一つ一つの曲のインパクトが強い初代〜「III」よりも記憶に残りにくいと言われる「VI」だが、サウンドトラックCDでまとめて聞けば、改めて奥深さに驚かされるはずだ。

●80歳にして「ドラクエX」に挑む現代の巨匠
 その後『VII』はPS1、『VIII』はPS2、『IX』はニンテンドーDSと歴代のゲームハードを総なめしたドラクエシリーズ。その中ですぎやま氏が手がけた楽曲は、なんと267曲にも及ぶ。質量ともに国民的音楽と呼ぶにふさわしい曲の数々は、フルオーケストラによる交響組曲とされ、すぎやま氏自らがタクトを振るうオーケストラコンサート「ファミリークラシックコンサート」にも10年以上通い続けるリピーターが多いという。
 そして、今年でドラクエも25周年。いよいよ10作目の『X』に注目が集まるなか、これも恒例の「すぎやまこういち東京メトロポリタン・ブラス・クインテット」のコンサートが10月に都内で開かれた。ドラクエはもちろん『ザ・ヒットパレードのテーマ曲』や『亜麻色の髪』の六曲を奏でた楽団は、わずか5人だ。室内楽クラスの小所帯は、5音で人の心が動かせるというすぎやま氏の自信の表れでもある。
 この席ですぎやま氏は、「『X』の曲はかなりできあがっている」と十本の指を広げてコメントしている。エルフやオーガ、ドワーフなど5つの種族+人間のそれぞれのキャラクターごとに色分けした曲が作られているとのことだ。毎回ドラクエをやりこむ本格ゲーマーであるすぎやま氏が徹底的にプレイしてから、「X」の音楽も完成するのだろう。今後もドラクエシリーズが、80歳を迎えたすぎやま氏とともに「この道わが旅」を末永く歩んでいくことを祈りたい。

※追記(1/9)
サマルカンドサマルトリア
ファミコン音源にチャレンジした作曲家→羽田健太郎氏を追加

以上2点、修正しました。ご指摘いただいた皆さん有難うございます。

新刊『教養としてのゲーム史』発売されました

ほぼ2年がかりで書いていた『教養としてのゲーム史』がやっと出版されました! Amazonでは8月8日発売となってますが、書店に並ぶまでに2〜3日かかるようです。

教養としてのゲーム史 (ちくま新書)

教養としてのゲーム史 (ちくま新書)


まだ書影さえAmazonにアップされてませんでしたが(なので自分でアップしたよ!)こんな感じ、ということで目次の紹介です。

教養としてのゲーム史【目次】

はじめに  

第1章 固定画面の中で――ビデオゲームの誕生と連鎖するアイディア
ポン・クローンの感染爆発/『ブレイクアウト』から始まった「ひとり遊び」/『スペースインベーダー』の“敵”を出現させた「ハードとソフトの分離」/『ギャラクシアン』はゲーム機の教科書/「ハード」と「ソフト」が噛み合った『ギャラガ』/「カーレース」と「迷路」の橋渡しをした『ヘッドオン』/『平安京エイリアン』の“地形”が戦略を豊かにする/「女性向け」をねらった『パックマン』/モンスターの個性とパワーエサという発明/マリオがジャンプ!『ドンキーコング』という革命/「不自由」がゲームを豊かにする/マリオのジャンプは「キャズム」を超えた? /「タル面」はジャンプゲームの入門編/アスレチックとアクションパズルを統合した「ジャンプ」/実は大ヒット作?『マリオブラザーズ』/2ステップ方式の奥深さ/協力するか、それとも裏切るか? /「ゼロサム」と「非ゼロサム」のごった煮/『スマブラ』で失われた「裏切り」
 
第2章 スクロールが生み出す世界――『スクランブル』『ゼビウス』から『スーパーマリオブラザーズ』へ
固定画面からスクロール方式へ/『スクランブル』と「地形」の誕生/スクロールによって“広さ”を得た『ゼビウス』/ナスカの地上絵と隠れキャラが『ドラクエ』の元祖? /『ゼビウス』のストーリー性は都市伝説まで生んだ/スクロールが「世界観」定着のきっかけ/『スーパーマリオ』に先がけた『パックランド』/業務用ゲームと家庭用ゲームの違い/業務用ゲームと家庭用ゲームとの分岐点/『スーパーマリオ』の「狭さ」は「箱庭」に進化

第3章 RPGと想像力のデザイン――『ゼルダ』の完成度、『ドラゴンクエスト』の凄さ
「デジタルの冒険」の原点にあるTRPG/『D&D』から生まれた『ZORK』と『ウィザードリィ』/『ウルティマ』が業務用とパソコンゲームの壁に風穴を開けた/経験値→アイテムに変えた『ドルアーガの塔』の革命/メーカー参入の敷居を下げた『ハイドライド』/『ゼルダの伝説』はなぜ「アクションアドベンチャー」なのか/箱庭ゲームは「広げる」より「閉ざす」/縮み志向の箱庭ゲーム/「冒険」を「観光ツアー」にした『ドラクエ』/プレイヤーが迷わない「一本道」への転換/ストーリーを語り始めた『ドラクエ』/『ドラクエ』はRPG版少年ジャンプ? /「しんでしまうとはなにごとだ!」という優しさ/マルチウィンドウはマンガの吹きだし/コマンド選択式というチャレンジ/三つの想像力を“編集”した『ドラクエ』/ハードの制約と停滞が進歩を生むパラドックス

第4章 シミュレーションと欲望――『信長の野望』から『ラブプラス』まで
シミュレーションは現実をクソゲーにする?/国産SLGは「大人の武将ごっこ」から始まった/大人向けニーズが育てた『信長の野望』/「欲望」に重点が置かれる国内SLG/「シミュレーション」は複雑さ、「SLG」は単純さをめざす/競馬と競馬ファンの垣根を取り払った『ダビスタ』/SLGのモデルは「こうあって欲しい現実」/アニメ絵×育成SLG=『プリンセスメーカー』/アニメ絵がゲームを進化させる/『プリメ』によるアニメ絵ゲームの大衆化/18禁ゲームと恋愛ゲームとの距離/ストーリー性を得た『同級生』/自分が自分を育てる『ときめきメモリアル』/ワールドシミュレータとしての『ときメモ』/CD‐ROMを一杯にしたサブイベントの豊富さ/『ときメモ』の成功ゆえのSLGの停滞/「熟成」と「飽き」の綱引き/ラストサムライだった『ときメモ』/重厚長大の枷から逃れた『ラブプラス』/「時間」がリアルとゲームを重ねあわせる/「同期」と「非同期」がゲームを豊かにする/『どうぶつの森』における「同期」と「非同期」の進化/『ニンテンドッグス』が開いた「ふれあい」の扉/銀河の果てまで広がる恋愛SLG空間

おわりに
登場ゲーム作品略年表

スペースインベーダー』から『ラブプラス』までのゲーム進化論は前例がなかったと自負しております。
前著『日本を変えた10大ゲーム機』の事実上の続編でもありますので、そちらを読まれた方々もよろしくお願いします!

新刊『ガンダムと日本人』発売されました

Twitterでは1ヶ月ほど前から告知していたんですが、本日、約2年ぶりの単著『ガンダムと日本人』が文春新書から発売されました!
ガンダムと日本人 (文春新書)

【キャッチ】
小沢一郎シャア・アズナブル
日本の政治・外交・ものづくりを
名作アニメを通して読み解く。
京大・高坂正堯門下生による
渾身のガンダム論登場!

【本書より】
 “夢”を次々と“現実”に変えていった小さな国が30年前に見た、今なお手の届かないとてつもない空想にして万感の思いが込められた産物。戦後日本の歩みが『機動戦士ガンダム』という一点に収束した過程を追っていくことで、この国の来し方と行く末、過去と未来への扉を開く助けになれば幸いである。
 
【本書の内容】
第1章 ジオン公国大東亜共栄圏ギレン・ザビ近衛文麿だった!?
第2章「ザク=零戦」「ガンダム戦艦大和」か?→トヨタ方式に繋がる製造業の原点
第3章 スペースコロニーと宇宙への夢→マルサス人口論からアポロ計画まで
第4章 二人のシャア──富野由悠季小沢一郎→一歳違いの両者の意外な共通点

5年前に出版した機動戦士ガンダム研究叢書 宇宙世紀の政治経済学の事実上の続編ですが、前著が「ガンダムと世界史」とすれば今回は「ガンダムと日本戦後史」といった位置づけ。第二次世界大戦〜1970年代末にかけて、どうやって日本の「ものつくり」精神や政治・経済が変貌をとげ、ガンダムという作品にたどり着いたかの足取りを追う構成です。ガンダムと日本を往復することで、どちらの理解もより深めようというねらいですね。

今後、リアル書店での店頭でもフェアを行って頂くほか、年末から年明けにかけて発売記念のトークイベントを行う予定です。いろいろ仕掛けは用意してますので、ここやTwitterでも告知していきます! お楽しみに。